民泊運営 家より別荘が欲しい 時を越えて想いを馳せる力
家より別荘が欲しい
どうもゴリラ不動産です。
不動産会社で働いていると、たくさんの方の家の購入や売却のお手伝いをさせて頂く機会に恵まれます。
ただ、僕は賃貸の家に住んでいますが、家を欲しいと思うことよりも、別荘が欲しい。そんな欲望が段々と肥大化してきました。
欲望というものは不思議なもので、抑えようと思えば思うほど、肥大化していきます。それは、おそらく抑えようと思えば思う程、その欲望に焦点が当たってしまうのでしょう。禁煙と一緒だと思います。
そんな僕は、事あるごとにネットサーフィンし続けて、肥大化する「別荘欲しい」という欲望を育て上げました。
ただ、別荘と言っても千差万別 海沿いのオーシャンビューの別荘 軽井沢を代表する森の中の別荘 ログハウスのような別荘
ネット上の丘サーファーを自負する僕は、別荘検索の波に乗り続け、気が付けばタブが大渋滞。そんなことを2ヶ月くらい続けていると、「本当に必要?」「働きながらいつ使うの?」「遠いところだと行くの大変じゃない?」「そもそもお金あるの?」という、「そもそも別荘不要論」が僕を襲ってきました。
別荘欲しいという欲望が急激にしぼんでいくのがわかりました。これだけ中古の別荘が売られているのは、「別荘不要論」の根拠じゃないか。と一人合点した僕は、別荘検索のタブを閉じ、xvideoのタブを大渋滞させることとなりました。
そんな折、突如深夜2時に警察からの電話が鳴りました。
「おじさまが亡くなりました。」「はい?」「自宅で亡くなっていたのが発見されご連絡しました」「えっ?」「直ぐに警察署に来てください」「はぃ…」僕は急いで車で警察署へ向かいました。疎らに走る高速道路のトラック、自分の胸の鼓動が激しくなるのを抑え叔父の事を考えていました。
警察署に着くと、冷たい控室に通され、現場の状況報告を一通り受け、遺体を確認してくださいという事で、さらに冷え切った地下室に通されました。「おじさまで間違いないですか?」「はぃ…」と答えると、半開きの目のまま、白い布が被せられました。葬儀までの一通りの流れの説明を受け、遺体をすぐに移動してくださいとの要請を受け、葬儀の手配をしました。
警察署を出ると、すっかり明るくなり冷え切った空気が僕を現実に引き戻しました。預かった貴重品を確かめると、叔父の家の鍵がありました。僕はそのまま鍵をポケットに握りしめて、家に向かいました。
家の中は、足場の踏み場所がないほど荒れ果て、僕は変わり果てた叔父の家と警察署で見せられた叔父の遺体の現場写真が、頭の中で交錯した。祖父、祖母、母、叔父が4人で育った家は、今考えると余りに狭く子供の時の記憶と現実の乖離で視界がぼやけている。床が見えないほどのゴミの中で、低いテーブルに腰掛け現実を受け入れようと思案する。誰もいない部屋で煙草に火をつけ、ゆっくりとゆっくりと煙草を燻らせる。
気が付けば、3時間 古いアルバムを眺めている自分がいた。僕が生まれる前の亡き4人の写真や、記憶にない自分の子供のときの写真がたくさん出てきた。埃を被った無数に集められたフクロウの置物がじっとこちらを眺めている。母や叔父が育った「家」どんな思い出があるのだろうか?僕も何度も遊びに来た。いつもエビフライを祖母が作ってくれた。見てきた景色や時間が違えど、そこには確かな記憶があるのだろうか。
「人は絶えず、自らの亡霊を産出し、自らを他者の亡霊に仕立て上げる」
ふと、ポールオースターの小説でクローゼットの中のコートが、2度と帰ってこない主を待ち続けるという描写があったことが浮かぶ。この家もそうだ。もう誰も帰ってくることはない。ただただ朽ちるまで待ち続けるのだ。
家には記憶があると思う。家だけではないモノに記憶があると思う。
そこには、時間と空間が刻まれ、人の感情やその場の雰囲気が重なり合う。
僕は、高校生の時に母を亡くした。そして家も追い出されるように無くした。でも、そこで過ごした時間や空間は、何年も生き続けている。今でも母がキッチンで料理している姿を、時を越えて一瞬で想いを馳せることがある。きっと家には不思議な力がある。目には見えないけれど、そこには、生活の履歴やたくさんの記憶がある。
話は逸れるが、僕は、心が弱くなると、自分の履歴をなぞることがある。それは、子供のころ住んでいた所や、学校への通学路、卒業した学校 家族で泊まった旅館 過去の自分の通り道をなぞるのだ。すると不思議と想ってもいなかった感情と出会えたりする。実際には、過去にあった場所は既に違う建物に代わっているかもしれない。あの時好きな子に告白した公園は閉鎖されてしまっているかもしれない。あの時大喧嘩した部室はもう取壊されているかもしれない。ただ、あの時の記憶は以外にも自分の中にはしっかり残っていると思う。そして、場所やモノには感情が宿ることがあり、人はそれを受け取ることが出来るのかもしれない。
それぞれの人の物語は、何気ない日常の中にあるが、その何気ない日常が特別な日だったことを後から気づくことがある。そんな日々の積み重ねが物語となり、物質に感情が宿ることがある。
そんなことを考えながら、僕は、葬儀の手続きや相続の手続きを行った。そしてあっという間に日常に戻ってきた。
そして今日も不動産を売っている。家を買うお客様がこれから紡いていく物語に想いを馳せて。そして、家を売るお客様の物語の幕引きに願いを込めて。
【記事解説】
こんな出来事から、ゴリラは不動産に色々な想いが込められているのだなと感じながら、仕事をしております。
1つ1つの不動産は、違う事もありますが、その不動産の歴史や想いも千差万別です。
だからこそ、その不動産という場所を「誰かの思い出に残る場所」にしたいと思い、2019年から民泊事業をスタートしました。